1989年1月27日3044gで成美が生まれました。 成美をつくる前 夫婦でかなり悩みました。 同じように障害をもって生まれてきたらどうしよう、それこそどうにもならなくなるのではないか。 病院で先生に尋ねてみました。 春ちゃんの障害は遺伝的なものではないと思うので大丈夫だと思います。 同じ障害が続けて二人の子供に出るのはまれなケースなのでまず心配いらないと言ってもらいました。
春ちゃんも兄弟があった方が色々刺激になって発達にも好影響をもたらすだろうと二人目に挑みました。 以前に聞いた話で1月、2月生は障害児が多いとのこと これは統計的な数字らしいのですが よくよく考えてみると1月、2月生の子供が多いだけでした。 でも、その時は藁をも掴む思い。 1月、2月だけは避けようと計画を立てました。 親の健康にも気を使い、 その日?はお酒も飲まず計画的につくろうと試みたのですが。 子供は作るものではなく授かるものだとこのとき実感しました。 結局出来たと思ったら2月が予定日でした。
出産当日、この日は朝早く5時過ぎだったでしょうか、妻が「来たみたい」と言うのでおもむろに起き出し産院へ。 今回は前回の教訓を生かし里帰り出産はせず近くの産院にしました。歩いても5分くらいのところです。 春ちゃんはまだぐっすり寝ています。そのまま寝ていてもらって二人で出かけました。 すぐに産院について事情を説明、前回がむちゃくちゃ早かったのでぐずぐずしてる間のないことを説明するのですが、 相手はプロなのでそんなことを聞いたぐらいでは信用できない様子、 しばらくはしたいようにしてもらいましたが看護婦さんが触診したところで事態の重大さに気づいたようです。 すでに子宮口は半分以上開いている状態、この期におよんで浣腸がどうのとか言っていた看護婦さんも 事情が飲み込めたようで少しあわただしい雰囲気でした。 眠そうな目をこすりながら出てきた先生も少しあわて気味。
そんな修羅場を半ば呆然と見ていた僕に「ご主人は立ち会いますか」と先生、 「はぁ、どっちでも良いですけど」と間抜けな返事の僕、 「じゃ、その横に立って」と言われいつの間にか分娩台の枕元に。
ここでもやっぱり妻が2,3回気張ったら成美が出てきました。 少し脂がのって白っぼい感じで出てきましたが、元気な泣き声をあげて真っ赤な顔をしていたのが印象的でした。 陣痛から約1時間と少し6時10分に生まれました。それにしてもうちの子供達は二人ともせっかちです。 が、母親は陣痛が短くて楽だったようです。
ところがこのあとが大変でした。 前回とは違いお姉ちゃんがいるのでしばらくは僕と二人で妻の里へお世話になりました。 このころから時々あった豪快な夜泣きがこんな時に限って出てくるもので、 春菜をだっこしながら座ったまま布団にくるまって寝た日が何日続いたでしょう。 寝かせると泣くけれどだっこすればうとうと寝てる、再び転がそうとするとそれを察したかのように泣き出す、 拷問にあっているようでした。 妻と成ちゃんが帰ってくる頃にはおさまっていたのですがそれにしても強情でした。 成美の名前は 美しい心と健康な体を持った人に成るようにと願いをこめてつけました。