1998年11月01日(日) [長年日記]
_ 療育園時代のお友達の家に出かけた。
車で10分位の所だから気軽にいける。用事もかねて 久しぶりに会うことが出来た。
そのお友達は 成ちゃんと同い年で一緒に療育園を卒園した仲良しのお友達だ。 でも今年の3月頃から調子が悪く 3,4,5月あたりは入退院を繰り返していた。 誤嚥性の肺炎を起こしていたようだ。 液体の物を口から摂取すると肺にわずかずつ流れ込むため 液体を摂取するには 鼻注をしなければならない。夏に熱が上がることもあわせて 成美の悩みといろいろ似ていることもあって 電話でよく情報のやりとりをしている。成美の場合は誤嚥は起こしていないようだが 食が細く体重が増えないことや筋緊張が強いことなど悩みがいっぱい・・・でも電話で知らないことを教えてもらったり とりとめのない世間話をしたりすることで随分元気をもらっている。
お友達も最近は調子が良くなってきて養護学校へも少しずつ行けるようになって来ていると言うことだった。・・成美とは違う学校です・・
良かった、良かった。お母さんの顔も明るい。 他人の喜びを自分ことのように喜べるようになったのはいつからだろう。 春ちゃん、成ちゃんのおかげなんだと思う。
「また来るしネー」 スーパーの袋にいっぱいの柿を頂いて 帰った。
1998年11月02日(月) [長年日記]
_ 春ちゃんの体験入舎を来週に控えて 生活の状況を聞きに寄宿舎の先生が二人で来て下さった。 あらかじめ注意点や細かい介護の仕方などをレポート用紙4枚にまとめて話をした。
月曜日から金曜日までの5日間、私たちの元から離れて生活する・・・とは言っても 私は毎日成ちゃんを学校に送っていき そのタイミングで 春ちゃんのコンタクトレンズをはめるので毎日顔は会わせるのだ。
でも5日間も親から離れてお泊まりするなんて初めて! 場所が変わってもちゃんと寝られるかしら、食事はうまく食べさせてもらえるかしらなど 気がかりはいっぱい。
でも 少しずつこんな経験を積んで行かなければいけない。 いろんなところで生活できるように、誰にでもお世話になれるように、たくましくなって欲しい。 たくましくならなければいけないのは私たち親でもある。 心配ばかりしていてはいつまでも前に進めない。 心配しなくて済むようにするにはどうしていけばいいのか、考えて行動に移せるようにならなければいけない。
無事に済みますように・・
1998年11月03日(火) [長年日記]
_ お天気の良い休日。
ゆっくり起きてゆっくり朝ご飯食べて ホームページをチョコチョコいじっているともうお昼。 洗濯物や 流し台の洗い物は山になっている。 けど せっかくの休みは家族で一緒に過ごしたいので 目をつぶるとしよう。
午後になると部屋の中に陽の光が入り込んできてポカポカしている。 もうこんなに陽が入り込む季節になったんだー。 どこか近い所にでも出かけたいと思っていたけど 部屋でゴロゴロしたくなってきた。 みんなでゴロゴロ、そのうちしっかり眠ってしまった・・・
1998年11月04日(水) [長年日記]
_ 学校へ春ちゃん成ちゃんを迎えに行った。
いつものように二人分の荷物を積み込みながら 先生達と今日の子供の様子や雑談を少々。1人の30歳前位の女の先生が 車に座っている春ちゃんにバイバイの挨拶をして下さっていた。 春ちゃんは澄まし顔。そこへ25歳くらいの若い男の先生がやってきて 「春ちゃ〜ん」と声をかけて下さると、ニコ〜。 女の先生は「わ〜ん、私は用なしってことぉ〜?」と 嘆いてしまわれた。(笑)
へー、春ちゃんて若い男の先生がお好みだったのね。 誰に似たんだろーねー?
1998年11月05日(木) [長年日記]
_ 今日は眼科の診察日で学校も休んで 出かける準備をしていた。 それにしても成ちゃんが昨日に引き続き機嫌が悪い。 泣いてばかり・・抱っこしていると少しは落ち着く。 でも寝させると怒ってしまう。そう、抱っこばかりもしていられないので しばらく放っておいたりするのだが 成ちゃんのパワーには負けてしまう。「仕方ないねー。」と言いながら抱っこ・・・ 出かける前に熱を測ると37.8°。う〜ん、これは困った。 春ちゃんも37.4°で少々高め。今日は表は風があって寒い。 急を要する診察ではないので 大事をとって今日はやめ。 は〜、また改めて予約して行かないといけない。出来れば一つずつ着々と用事は済ましていきたいのだが・・・仕方ないっかー。
熱は 夕方には下がった。 ますますパワーアップして成ちゃんが泣いている。どうやら時々あるパターンのようだ。 こんな時は牛乳をいっぱい飲みたがる。不思議な相関関係・・・ 今夜は寝るのかー?
1998年11月06日(金) [長年日記]
_ 結局夕べと言うか、今朝方と言うか 成ちゃんが寝付いたのは3時・・・ よく泣いた。 NOBさんが身体をマッサージしてあげたら気持ちよくなったのか 少しずつ落ち着いてきた。 私よりNOBさんの方がよっぽど辛抱強いみたい。 そんなことで 今日はせっかくの学校の「秋祭り」の日なのに成ちゃんは遅れて登校して メインに参加できなかった。 でも無理に起こして引きずるように連れていくのもかわいそうだし、仕方ない。成ちゃんの都合を尊重させていただきます、成ちゃんよー。
メインには参加できなかったが 各クラスで趣向を凝らした「遊びの広場」では楽しめた。 マドレーヌ、餃子を焼いていたり、ゲームコーナーがあったり、パネルシアターがあったり。 私も成ちゃんと一緒にあちこち回って楽しめた。 結構 キョロキョロ興味を示して見ている成ちゃん。学校では泣かない。 楽しいんだね、学校・・・良かった。
1998年11月07日(土) [長年日記]
_ 春ちゃんの整形外科の診察へ。
予定は28日だったが 骨折部分が少し暖かいのと、来週の寄宿舎体験入舎の前に診ておいてもらおうと言うことで今日行くことにした。 成ちゃんは学校を休んで おばあちゃんちで 1人助っ人をお願いした。 おばあちゃん1人では 成ちゃんは手強すぎるのだ。
病院の待ち時間は長い・・・ 患者さんもいっぱい・・・ お菓子を食べながら気を紛らわして待った。 名前を呼ばれたときの嬉しいこと! 診察室に入ってレントゲン写真を見て先生は 「うん、骨は出来たね。」 骨折したところが少し暖かいのは そこの代謝が活発になっているからだそう。ナルホド。 「じゃ、これでおしまいにしよう。」と、先生。 やった〜!よかった〜! 人に聞くと 骨折すると 季節や天気によって うずいたりだるくなったりするらしい。その辺は気をつけてやらなければいけないし 経過も親の目でチェックしなければならないと思う。 この先生、診察室から患者さんを呼ぶとき、「〜さんどうぞ」ではなくって「〜さま」って呼んで下さるのです。 春ちゃんの場合は「○○春菜さま、どうぞ」って。 患者さんを大事に思っていただいてるようで嬉しい気持ち。 「はるなさま」だもんなぁ。
1998年11月08日(日) [長年日記]
_ お父さんはお仕事で 出かけた。
春ちゃん、成ちゃん 私の3人で家でゆっくり過ごした。 午後からは 明日からの春ちゃんの寄宿舎に体験入舎するための荷物を準備した。 めちゃくちゃたくさんの荷物! この季節だからお布団も着るものもかさだかい。 夏だったらずいぶん違うだろう。 楽しんでくれますように。
1998年11月09日(月) [長年日記]
_ 春ちゃん寄宿舎の体験入舎の日。
朝からすごい荷物を車に積み込んで学校へ行った。成ちゃんと春ちゃんをいつもの教室に送り届けて荷物は寄宿舎へ。 台車でゴロゴロ運ぶ姿は 花嫁道具の行列みたいだ。「春ちゃんの嫁入りです」な〜んて言いながら運んだ。 荷物をおろして 確認事項を話して 帰った。
コンタクトレンズをしているので 夜8時頃にはずしに行った。 ちょっと興奮気味にも見えたがレンズをはずした後あたりから静かになった。 先生と少し話をした後、「それじゃ、春ちゃん、おやすみ」と言って帰った。 11時の時点で寝ていなければ連絡をもらうことになっていた。 11時を過ぎても電話は鳴らなかった。 お利口さんに寝られたのかな?ご飯もしっかり食べたかな?淋しくなかったかな?
1998年11月10日(火) [長年日記]
_ 時々腹痛に襲われていたNOBさん・・・
近所のお医者さんに胆石と診断され紹介状をもらって大きな病院へ。 即入院を覚悟で行った。パジャマと下着を持って・・・ でもまぁ、それはなく、それでも明日から約3週間の入院となった。
春ちゃんは今はうまいことに体験入舎をしている。 それでも今週の金曜日の夕方には帰ってくる。 NOBさんの留守の間、私1人で2人はとても見られないので早速 「緊急入舎」をお願いしたいと申し出た。 しかし許可が下りるには「審査」が必要でなかなか厳しい。 まだどうなるかわからない。
明日の入院の用意。 男の人って荷物が少ない。私があれこれ言っても「売店で買う」って。 「あれが足りない」って気づいて買いに行くって面倒なのになぁ。
成ちゃんよく泣く。
1998年11月11日(水) [長年日記]
_ NOBさん入院。
私と成ちゃんは別の病院の小児科の定期診察。 NOBさんの方へついていきたかったが 小児科の方で薬ももらわなくてはいけないし、成ちゃんの脳波検査の結果と 代謝量の測定結果も聞かなくてはいけなかった。 身体が二つ欲しい。 小児科へ行き、 帰ってからきげんの悪い成ちゃんの相手をしながら細々とした用事をした。 それにしても成ちゃんは抱っこしていないと大泣きする。 まいった。 小悪魔に見えてくる・・・こんにゃろー! 今日は早く寝たいのに・・・ちくしょー!ちょっとお下品でした、失礼。
それにしても春ちゃん・・どうしてる? 今日はコンタクトレンズを入れにいけなくてごめんね。 今晩は、お薬なしでねるんだよ。 明日はお顔見に行くよ。
1998年11月12日(木) [長年日記]
_ 夕べは寄宿舎からの連絡は何もなくお利口に寝られたらしい。春ちゃん。 でも今日、学校へ行ってコンタクトを入れるときに表情を見ると少しテンションが高いようだった。 コンタクトをはずしたときはかなり筋緊張があってハイテンションだった。 心配しながらも 後一晩でとりあえず一段落だから頑張って! と帰ってきた。 成ちゃんはやっぱり泣く。 いっぱいご飯は食べられるしまぁ勘弁してあげよっか。良いところを見ていこう
夜9時頃寄宿舎から電話。 緊張が強くたぶんそのせいで熱が38.1°ある。興奮気味で寝そうにない、とのこと。 お薬を使ってもらうことにした。明日は休日前で帰ってくる。 まぁ、よく頑張ってくれたと思う。 合宿で学校に一泊するだけでも心配だったのに私も度胸が座ってきたというか、春ちゃんの力が親の想像を上回っていたのか、よく4泊5日も頑張れたと思う。帰ってきたらいっぱいほめてあげよう。
1998年11月13日(金) [長年日記]
_ 春ちゃんが寄宿舎から一時帰宅。
学校が休みの日は 寄宿舎も休みなのだ。 迎えに行くと 目つきが変わり ハイテンションだ。 さて、家に帰ったらどんな調子になるかな?・・と思っていると・・ 予想通りの号泣! あー困った、でも春ちゃんは頑張ったんだから しっかり抱っこして受けとめてあげよう。 成ちゃんはそんな事情をわかっているのか昨日とはうって変わっておとなしくしている。
と、そこへNOBさんからの電話。 「外泊しても良いって」 うちの事情もあるので 検査中の今なら帰ってもよいと言う計らいらしい。 助かった。NOBさんには悪いけど。 でも春ちゃんも大好きなお父さんにいっぱい抱っこしてもらえてずいぶん気持ちが落ち着いたようだった。
お姉さんがおでんを持ってきて下さった。感謝。
1998年11月14日(土) [長年日記]
_ 土曜日。とてもよいお天気。
いつものこんなお天気のよい日曜日ならどこかへ出かけたくてウズウズするのだが 今日は家族4人で家の中にいるのが心地よい。 また明朝からNOBさんが病院に行くので 4人で過ごすこの時間が貴重に思える。 春ちゃんはずいぶん落ち着いてきた。 やっぱり環境の変化には弱いんだなぁ。 でも月曜日からまた寄宿舎なんだよ。 頑張らなくて良いからリラックスして楽しんでおいでね。春ちゃん。
1998年11月15日(日) [長年日記]
_ NOBさんが春ちゃんの朝ご飯だけ食べさせてくれて病院へ行った。 お昼ご飯は お姉さんに頼んで春ちゃんに食べさせてもらった。私は成ちゃん。 夕方からアコに来てもらった。 いろいろと手伝ってもらった。 春ちゃんの夕食も食べさせてもらった。大助かり!私もおしゃべりできて気が紛れた。
問題は今晩、どんな体制で寝るか・・・ いつもは春ちゃん成ちゃんがお互いに干渉し合って寝られなくなっては困るので春ちゃんお父さんペアと 成ちゃんお母さんペアに分かれて寝ているのだが さてどうしたものか・・・ 私一人で それぞれの部屋を見るのはちょっと苦しい。睡眠がとれない。 となると3人で枕を並べて寝るしかない。かなりの覚悟だ。
春ちゃんはまだテンション高い目でちょっとした物音でも刺激を受けそうなので お薬を使った。 成ちゃんはいつもと違う部屋で寝ることになったので 周りを見回し 早速寝ない。 お願い、成ちゃん、早く寝て〜。 お母さんは明日も忙しいのだよ。 あ〜ぁ、まずかったかなぁ、お願い!早く寝てくれ〜。
1998年11月16日(月) [長年日記]
_ 月曜日。
春ちゃんと成ちゃんの朝の用意は大変。いつもは春ちゃんの用意はお父さんが担当していてくれた。 今日はまず春ちゃんを先に起こしてご飯を食べさせて着替えて「ちょっと待ててね」と横にさせておくとそのうちウトウト眠った。 次に成ちゃんを起こしてご飯と着替え。 成ちゃんは春ちゃんより時間がかかるし 機嫌も悪くて手間取る。だけど最近、たくさん食べられるようになったので まぁ、許してあげよう。 そうこうしているとお姉さんが様子を見に来てくれた。 私が身支度をしたり荷物の準備をしている間に子供達を見てもらった。 なんとか登校までこぎ着けた。やれやれ・・・
今日から春ちゃんはまた学校の子になる。 家で急がし紛れでいい加減に関わるより 寄宿舎で先生方にたっぷり関わってもらう方が春ちゃんにとっては良いのかも知れない。 「ドンと任せて下さい!」と行って下さった先生の言葉がありがたく身にしみる。
1998年11月17日(火) [長年日記]
_ 養護学校の春ちゃんの担当の講師の先生が体調を崩され急に退職された。 その先生も 実は骨折された先生の替わりに来られていた。 明日、新しい講師の先生が来られる。 春ちゃんの担当がめまぐるしく変わる。仕方のないことだが 春ちゃんも先生も早くなじんでくれるか心配。 重い障害のある子供は 口で伝えることが出来ない分 いろんな事をうまく伝えにくく誤解されたり 勘違いされたりしがちだ。介護もその子の特徴をわかった上でちょっとしたコツでうまくいったりいかなかったり・・・ その辺を早く的確に理解して貰いたいと思う。 そこをスムーズに運ぶには親の出番が必要となる。 何回も何回もわかって貰うにまで 子供のことを説明しなければならない。 出来るだけ 担任は変わって欲しくない。 けど、一人でも多くの人に春ちゃんのことを知って貰う事は得なことだ。
ええとこどりで考えるとするか・・・
1998年11月18日(水) [長年日記]
_ 寒くなった。エアコンの暖房や 床暖房もとうとう必要になってきた。 電気代が気になる。
成ちゃんもジャケットを着込んで登校となった。 教室の中は 日当たりがよいのとストーブが入ってポカポカ暖かい。 そんな中で真っ赤なサンタクロースの衣装を着込んだ先生の姿が・・・ 歌に合わせて楽しいダンス。 子供達はあっけにとられている感じ。でもだんだん楽しい雰囲気でいっぱいになる。 真っ赤なサンタのズボンを少しずり落としながらの熱演、ご苦労様です。
春ちゃんは寄宿舎で夕べもよく寝たらしい。良い調子! コンタクトレンズを入れて 泣きべそをかいているので抱っこしてあげたら 大口を開けて大喜び! ニコニコいいえ顔を見て安心した。
1998年11月19日(木) [長年日記]
_ しかし、まぁ、よく散らかっている。家の中・・・ 旦那さんが入院して 春ちゃんは寄宿舎へ入って貰って少しでも私の負担を減らし疲れてしまわないように用事も最低限にして とにかく寝られるときに寝ようと心がけた。 でも成ちゃんがどうも機嫌が悪くなかなか寝させてくれない。 ちょっとしんどいぞ。
それにしても煩雑な部屋の中、なれていく自分が怖い。 買っても読む時間がない本が山積みになってたり たたんだ洗濯物がタンスにしまわれることなく いくつかの山になって置かれたまま。 お茶碗などの洗い物もたまっている。
主婦って書ききれないけど目に見えてこない用事がいっぱいあるのよねぇ。 やってて当たり前、やらなければだめな主婦? なかなかほめてはもらえませんね。 うちの旦那さんは理解がある方だと思うけど。
もうすぐお正月だけどきれいに片づけて新年を迎えられるだろうか。 何よりも早く旦那さんの手術が終わって帰ってきて欲しい。 ・・・まとまりのない文章だなぁ・・・
1998年11月20日(金) [長年日記]
_ NOBさんの検査がすべて終了した。あとは手術を待つのみとなった。 ところが! 病院側の手術のスケジュールが11月中はいっぱいで いろいろ事情を説明して早く出来ないかお願いしても無理だった。 よって いったん帰宅となった。
病院からの帰り道 細い路地を入ったところに何となく粋な感じのおそばやさんを見つけた。ちょうどお昼を少し過ぎた時間だったので二人で入ってみた。 おばちゃんが注文を聞きに来てくれたが 冷たいおそばか暖かいのかの2種類だけのようでちょっと面食らったがとりあえず暖かいのをお願いした。 まず出てきたのがお茶代わりのそば湯。 そしてお椀に山盛りのネギと その下には生卵が隠れておりわさびが添えられていた。 そこに暖かいお出汁をかけて混ぜておいて下さいとのこと。 なんだか珍しいおそばやさんで二人でネギをかき混ぜながら笑えてきた。 混ぜ終わると蒸籠に暖かいおそばが盛られて出てきた。 口直しに梅干しが一粒・・・ さっそく混ぜ混ぜしたお出汁におそばをつけて食べた。 なんというか、別にお味の方は珍しくも何ともなかったがなぜかおいしかった。 素朴というかシンプルというか 余計な物がない分、おそばだけに集中して味わえたという感じ。 次は冷たいのを食べてみたい。
帰りの地下鉄の中 口の中のネギのにおいが気になった・・・
1998年11月21日(土) [長年日記]
_ NOBさんが病院から一時帰宅となったので春ちゃんも寄宿舎から帰ってきた。「ただいま〜!」と言いながら家の中に入りホッと一息ついて腰掛けると春ちゃんはあたりをキョロキョロ見回していた。 「あれ?今日はココ?」って言う感じかな? 「春ちゃん、春ちゃんのおうちよ〜。」と声を掛けるが不思議そうな感じでおかしかった。
11月09日から今日までお世話になった、養護学校の寄宿舎・・・ 学校がおやすみの日は帰宅するのだがそれでもこんなに長く親の元を離れたのは初めてだ。最初の週はさすがにテンションが高くなって筋緊張が強くなり少し熱も上がってしまった。 2週目からは寄宿舎の先生方がなんとか春ちゃんがリラックス出来る状況を作ることに専念して下さりお陰で調子良く過ごせた。
離れてみて改めて春ちゃんの力がわかった。たくましくなったと思った。 同時に先生方の愛情こもった対応。感謝!
寄宿舎について今まで考えてみたことは無かったがその重要性がよくわかった。 遠方通学者の為の寄宿舎、加えて緊急時のため、そして自立に向けての教育の為。
いずれはみんな学校を卒業してそれぞれの社会に入っていくのだが 在学中に親元を離れて暮らしてみることは子供にとってはもちろん 親にとっても子供の持つ力を再認識したりこれからの自信にも繋がる。 突然に施設に入所するのは抵抗があるが 学校と廊下続きになっている寄宿舎は 担任と寄宿舎の先生とまた親とも綿密な打ち合わせが出来て 自立へのワンステップを踏む場としては無理や不安が少なく申し分ないと思うのだが・・ でも寄宿舎は今後縮小傾向にある。なんとかみんなの力でくい止めなければ。
1998年11月22日(日) [長年日記]
_ 文化祭。
今日は春ちゃんのいる中学部の文化祭に行った。 中庭でのそれぞれの出し物を楽しんだ。 春ちゃんは「わらべうた」をテーマとした出し物。 先生お手製の可愛いベストと 共布で作ったリボンを頭に飾っての出演。 わらべうたにあわせてリズムを取ったり ゲームをしたり。 春ちゃんは顔にかけられた布を自分で取り払う事をお披露目した。 ちょっと先生がお手伝いし過ぎの感があったが無事取り払えた。
PTAの合奏で私も出番があった。曲は「全部だきしめて」で私のパートはリコーダー。練習不足で少々失敗も・・・でも楽しかった。 行事の時はいつも子供達のきらきらした表情に感動する。
1998年11月23日(月) [長年日記]
_ このところイライラしていて母から電話があっても冷たくあしらってしまっていた。心配を掛けているなとわかっていても甘えていたんだと思う。 NOBさんもとりあえずは帰ってきたので今日は久しぶりにおばあちゃんの家へ出かけた。みんなの元気な顔を見せに・・ おばあちゃんも私たちの元気そうな顔を見てホッとしてくれたと思う。 いつものように明るく賑やかなひとときを過ごした。
弟の子供のお宮参り、父の一周忌・・・と年末を控えて忙しくしている母。なんせ田舎なもので色々用事が多い。
お宮参りが終わったら 赤ちゃんとお嫁さんも帰ってくるから忙しいながらも賑やかで楽しみも増えると思う。 身体には気をつけていつまでも「忙しい、忙しい・・」とハッスルして欲しいものだ。
1998年11月24日(火) [長年日記]
_ 22日(日)が養護学校の文化祭で登校日だったため今日はその代休。 午後、春ちゃんがしばらくお世話になっていた講師の先生が生後2ヶ月の赤ちゃんを連れて来て下さった。 来られるやいなや、春ちゃんを抱っこして「ひさしぶり〜」って挨拶して下さった。私はと言えば彼女のベイビーをすぐさま抱っこした。 なんてかわいいの! 2ヶ月にしてはほっぺがまるまるしてよく栄養がいきとどいているゾと言った感じ。いろいろ声を掛けると嬉しそうににっこり笑ってくれる。 白くて柔らかくてぷっくりしたおてて。 寝かせてあげると 足を蹴る蹴る。げんき〜。 春ちゃんがこのくらいの時はひたすら泣いていたっけ・・・ あの時は全然余裕が無かったっけ・・・ 心配事もいっぱいあったし。連れて出かけるなんてとても出来なかった。
それにしてもこの子はおおらかだ。 大物になりそうな気配がする。
成ちゃんだけが誰にも抱っこされずに不服そうににらんでいた。ごめんよ、成ちゃん。愛してるからね、心配しないくていいよ。
1998年11月25日(水) [長年日記]
_ 水曜日で子供達は1時半帰り。
短い時間に買い物をして用事を済まし お迎えまでの中途半端な時間はおばあちゃんちですごした。 ・・正確には母だが・・ おばあちゃんは12月05日の弟の赤ちゃんのお宮参りの準備や内祝い、そして12月13日のおじいちゃん・・正確には父だが・・の一周忌の準備に追われていた。 いろいろはなしたいことがたまっていたらしくマシンガンのように話は続く。 うんうん、と相づちは打つが悪いけど半分以上は馬の耳に念仏状態の私。 でもおばあちゃんは満足そうだった。
1998年11月26日(木) [長年日記]
_ 初めて胃カメラを飲んだ。
結果から言うと異常なかった。はぁ〜良かったぁ〜・・・
10月に受けた健康診断の結果 胃のレントゲンでポリープがあると言う事で精密検査を受けるよう書かれていた。 え〜、そんなぁー・・・ NOBさんの入院直前のことでどうにも動きがとれず仕方なしに NOBさんの一件が一段落してから病院に行くことに決めた。 それまでこの件は忘れることにした・・・とは言っても忘れられるはずはない。 苦悩の日々・・・ でも忙しかったのでまだ救われてのかも知れない。 それでも万が一のことを考えて子供をどうするか考えたり、自分のパジャマや 下着を買い込んだりしながらいろんな思いが巡った。
そんなことをしているうちにNOBさんが一時帰宅となり時間が出来た。 ボチボチ行くか・・・ 病院へ検査に行くことにした。たぶん検査は胃カメラだろう、覚悟は出来ていた。おそらくそれで結果はハッキリするだろう。 それを考えることが怖くてたまらなかった。とにかく障害のある二人の子供をどうしたら良いんだろう、そればかりが巡った。
時間に背を押されるようにして病院へ行った。 予想通り胃カメラ。ちゃんと朝食も抜いて行った。 検査室へ入ると前におっちゃんが一人と検査中の人が一人おられた。 検査前に口の中や喉を麻痺させる薬を口に含み、5分後に吐き出す。そして胃の動きを弱くする注射を打つ。あとは順番を待つ。 検査中の人の「おえ〜っ」が聞こえるが今となっては腹をくくっているので動揺はしなかった。その人は「大丈夫ですよ、異常ありません」と言てもらえたようだ。
自分の番。ベッドに横になって喉に麻酔のスプレーをされた。ゴックンと飲み込んで「はい、左を下にして、足を軽く曲げて、これをくわえて。」 マウスピースみたいなのをくわえてカメラが・・・ お薬をしていると言っても まずは喉のところが通りにくい。 反射でのどを絞めてしまう。「喉を通ったらすーっと入りますから、楽にして・・」ぐいぐい喉のところを通過。 何度となく「おえ〜っ」となる。もうこれは仕方ない。開き直る。 いつかは終わるんだからとか 子供達も何かにつけていろんな検査をしてきたんだとか つわりみたいなもんさとか いろんな事を考えながら。 でも 子供のことを考えたときが一番力が抜けた。
胃の中をグニュグニュカメラが動く。 「ないですか?」「んー、ないですねぇ・・・」 そんな声が聞こえてきた。「ない・・ やった!うれしい!」 涙チョチョギレル中、大喜びした。 「はい、終わりですよー、何もないですね。」良かった・・・ あと内科の先生の診断で「胃のひだが重なってポリープのように写ることがある。」と説明を受けた。
このパターン、健診でひっかかって 胃カメラで異常なしって言うの、どうだかなぁ。精神的に参ってしまうのよねぇ。 でも胃カメラではやはり悪いものならば早期に発見できると先生がおっしゃっていた。レントゲンでは完全ではないようだ。じっくり診てもらえてラッキーだったと考えよう。 身体は大切にしようとつくずく思った。 バランスのとれた食事、特に緑黄色野菜、果物は欠かせないらしい。 そして免疫力を低下させない。夜更かしはもってのほか。
家族で健康を考える良い勉強になった。
ちなみにNOBさんも検査入院中に胃カメラを飲んだそうだが眠剤で何も知らない間に終わっていたそうだ。おえ〜っの苦しみを知らない彼は幸せ者・・・
1998年11月27日(金) [長年日記]
_ 用事があって京都駅周辺まで出かけた。
地下鉄に乗るとやはり京都は観光地なんだなぁとつくづく思う。 「○○へ行くにはどうやって行くのですか?」と尋ねてくる人、ガイドブックを持った人、大きな荷物を持った人・・・ 私も一度ゆっくり京都見物をしてみたい。案外京都のことをなにも知らなかったりする。
久しぶりに伊勢丹へ寄ってみた。 心うきうき地下の食料品売場へ。 ケーキに、焼きたてパンに、お総菜に、京漬け物・・・あ〜見ているだけで幸せ。買えばもっと幸せ。 いろいろ目移りして あちこち売場をさまよって 焼きたてパンとサラダを買った。 もう少し時間とお金があれば満足なんだけど・・・
雑踏に身を置いてしばしの幸せだった。
1998年11月28日(土) [長年日記]
_ 第4土曜日で学校はお休み。
良いお天気。 家でゆっくり休養した。 明日はお出かけしよう。
夜10時頃、「・・頓服飲んでおくわ・・」とNOBさん。 どうやら胆石の疝痛発作が起こりそうな気配を感じているようだ。 少し前も痛みかけたときにお薬を飲むとス〜っとおさまったので早い目に飲めばおさまるだろうと思っていた。 しばらくしてNOBさんは「鈍痛はするけど痛くはならへんわ。」と言っていたのにいつまでたっても床の上でゴロゴロしてあっちを向いたりこっちを向いたり・・ 「どう?」と聞くと「かなんなぁ、だんだん痛くなってきた・・」と。 困った・・お薬が効かない。 時々痛そうに顔をしかめる・・・早くおさまって・・・ こればかりはどうしようもなく私は様子をうかがっているだけだ。 下手にさすったりされるのもイヤみたいだし。 痛み出して4時間たった。 もう一度お薬を飲んでみると言うのでお薬を渡した。
午前3時。ようやくおさまったらしい。はぁ・・・良かった・・・ それにしても痛そう。 胆石には当たり前の痛みなのかも知れないがこれがそうそう起こってもらっては見ているこちらも身が持たない。 手術は12月18日・・まだ先だ。なんとか早くしてもらえないのかなぁ。
1998年11月29日(日) [長年日記]
_ 日曜日でお天気も良いのでお出かけしたかったが NOBさんが夕べあんな調子だったので今日も家で過ごすことにした。 胆石発作のあとは消化の良いものを摂って胆のうに負担がかからないようにした方がよいらしい。 朝はスープだけにして貰おうかと思ったけどどうやら不服らしいのでお粥をサービスしてあげた。
午後は念願の子供達の散髪をした。 春ちゃんも成ちゃんも一人では座れないし 頭の固定も難しい。おまけに泣き叫ぶのでとにかく早くきれいに出来るものはないか いろいろな散髪グッズを使ってみたが今はテレビショッピングで手に入れた「ロボカット」に落ち着いている。 「ロボカット」は掃除機にカッター部分を取り付けるのでカットした髪の毛が飛び散らずあとの掃除はほとんどしなくてOK。 最後にはさみで少しだけ整える程度で良い。
でもこれは掃除機の音とカッターの回る音でちょっと子供の恐怖心をあおるかも知れない。特に春ちゃんは悲愴な顔をして泣いてしまう。 前はあとあとまで引きずることがあったが 大きくなるに連れて立ち直りが早くなってきた。 成ちゃんは 小さい頃から割と泣かずに出来る。ちらぁ〜っと横目で「ロボカット」をにらみ「一体これはなんなのよー」とでも言いたそう。 「ロボカット」に対抗意識を燃やすその表情は なんともいじらしく、滑稽でもあり頼もしくもある。
そんなこんなでカットは無事終了。 ひる風呂に入りホッと一息。 シャンプーしてくしできちんと整えるとなかなかの出来。・・NOBさんの作品・・ これ以上切るとワカメちゃん状態なのできわどい線である。 プッ・・・でもいつもなんでかなぁ、笑ってしまう・・
1998年11月30日(月) [長年日記]
_ 今日で結婚14周年。15年目に突入だ。
松阪牛の霜降りのステーキでも食べたいところだが(見栄っ張りなヤツ・・)なんせ胆石発作が出ると大変なので脂控えめ、量も控えめでなければいけない。何にしようか考えながら買い物に出た。
スーパーの駐車場には入り口近くに車椅子専用のスペースがある。 でもそのスペースの入り口には 「車椅子専用」と書かれたコーンがおかれていた。車を駐車するには まずそのコーンを傍らにのけなければならない。 体の悪い人に介護者が付き添っていればまだ良い。 でも体の悪い人が一人で来られていたら これは大変厄介だろう。 平日は周りを見渡してもガードマンはいない。 一体どうしろと言うんだろう?
なぜコーンがおかれなければいけないのか。 それは言うまでもないが「車椅子専用」スペースに駐車すべきでない人が駐車するから。 今日もやっぱりいた。 50歳くらいの男性。一人で車から降りてスタスタ歩いて行ってしまった・・・他に駐車スペース、空いてるじゃないの! いい大人が、これ、いったいどういうこと!? 私は「駐車禁止除外指定車」の証明書を車に携帯していても その対象者である子供達が一緒でなければ 「車椅子専用」のスペースには気が引けて止められない。 元気いっぱいの(?)私がそこに駐車することで本当にそこに止めたかった人が止められずに困るかも知れない と思うと私にはできないなぁ。
でも 注意も出来ない私。 よっぽど確認しないとひょっとしたら人を傷つけるかも知れないし なんと言っても今の世の中怖い人が多すぎる・・・ 注意しようものなら ナイフだって出てこないとも限らない。 だからおねがい! モラルを持って思いやりを持って すべての人が気持ちよく過ごせるようにしましょうよ!
っで、今夜のメニューは・・・ 銘々土鍋で(あれってこんな風に言うのかなぁ?)「牡蠣の土手鍋風」デシタ。 ケーキも焼きたかったけど、過食にならないようにガマンガマン。 手術が終わればいっぱい食べられるサ。
行方不明になっていた「メモリアルキャンドル」も無事見つかり点火!子供達が不思議そうに愛の炎を見つめていたのであった・・・THE END.